写真の歴史

写房日誌

2019/06/11

店長の本田です。ご縁とはどういう形で繋がるかわからないものです。

先日、スタジオの前で湿板写真の撮影をしていたところ、通りがかりのおじさんが近づいて来られました。

あかつき写房のメイン機 5×7inch

 おじさん:うちにもこのカメラあんで。

 本田:そうですかぁ〜、ガラス乾板写真のカメラとは珍しいものをお持ちですね ( ほんとかな?フィルム用のトヨビューとかじゃないかな )。

 おじさん:今度もってくるわ。買い取って。

 本田:使えるかわかりませんから、、どうでしょうか (お金が絡んでややこしいことになったら嫌だな)。そろそろ、現像しなくちゃいけないので、また!

 おじさん:また持ってくるわ。

 本田:あ、はい、またゆっくりと。

ややこしいことに巻き込まれたら嫌だなという反射的防衛反応と、本当に撮影中で急いでいたので、そっけない対応をしてしまいました、、、(そういうとこ、ほんとダメな人間ですね。)

にも関わらず、その数日後、私が不在の時にキャビネサイズのガラス乾板カメラを、自転車のカゴに入れたおじさんがスタジオにやってきて、カメラを置いていかれました。しかも、「あげるわっ」て。

カメラの他にも、三脚、フォルダ、レンズ、マグネシウムストロボ、フラッシュバルブストロボ、などなど

まずは、カビ落とし & お掃除です。カメラ、三脚と拭いていて、フィルムフォルダに取り掛かった時です。なんか重いぞ。おかしいなと思い、中を開けたらなんとガラス乾板が出てきました。しかも現像済みで像がはっきり写っています。今までも、オークションで買ったフィルムフォルダの中から、未現像のフィルムやガラスが出てきたことがありましたが、像が写っているのは初めてです。

フィルムフォルダからガラス乾板ネガが出てきた!

写っているのはいったい、いつの、誰なのか??備品のマグネシウムストロボが入っていた箱に新聞が巻きつけてあって、その日付が昭和25年。今から約69年前です。

昭和25年12月30日の新聞。マッカーサーが載っている。

ちなみに反転してみるとこんな感じ。

ネガポジ反転画像

ちょっと田舎の結婚式の写真のようです。写真を分析してみると、構図や人物の配置のバランスが記念写真としてとても良いです。手袋や末広(お扇子)をちゃんと新郎新婦に持たせていて、ピントも綺麗にあっています。注目すべきは新婦さんが座っている椅子の後ろの脚に石をかませてレベル調整までしています。これらを見る限り、プロのカメラマンが撮ったようにみえます。それとも、当時の人はみんなこんな写真が撮れたのでしょうか??気になる点としては、現代なら記念写真を撮るときに新郎新婦から見て右側に男性を立たせますが、この写真は反対です。時代の都合なのか、文化の都合なのか、地方の都合なのかわかりませんが、面白いポイントです。

さて、このガラスネガ、慌てて 且つ割れないように慎重に、譲ってもらったおじさんのところに持って行きました。ポジプリントと併せて見てもらったところ、ご存知ないとのお答えが、、、詳しく聞いてみると、カメラはいただいたおじさんの、おじい様のもので、おじい様はカメラマンではありませんでした。おそらく、写っているのはおじい様のお兄様ではないかと思うけど、定かではないので、従兄弟さんに聞いてみるとおっしゃってくださいました。

そして、この写真は現在、お手紙として鳥取にいらっしゃる従兄弟さんのところへ。お返事待ちとなっています。

「写真」とは、その写真に写っている人のことを知っている人が、誰もいなくなるまで生き続けるもの だと思います。このガラスをご家族やご親族にお返しし、語り継いでいってもらことで、この写真にまた命が吹き込まれ、次の世代に届くと思うと嬉しい限りです。残る写真とは何なのか、残したい写真とは何なのか、最近撮ったあの写真やこの写真は70年後どうなっているのか?考えるきっかけをくれたこの写真との出会いに感謝です。

** 続編、乞うご期待 **

譲ってもらったキャビネサイズのガラス乾板カメラ