撮られるのが苦手な人へ。

写房日誌

2019/05/31

こんにちは、副店長のおぐです。
今日は湿板写真をやっていく中で衝撃的だったエピソードをお話ししようと思います。

先日、あかつき写房に取材に来られた方(仮名 Aさん 女性)がいました。
「京都で変わったことしている魅力的なお店や人」を見つけては取材をされているらしく、自らあかつき写房を見つけてご連絡してきてくださいました。

Aさんには湿板写真の魅力をお伝えするべく実際にモデルになっていただき、体験を通じて取材してもらおうと思いました。
僕のつたない日本語では魅力どころか、ねじ曲がった情報を伝える恐れがありますからね。

「私、写真撮られるのが苦手で…」「髪の毛ヘンじゃないですか」とAさん。
取材で写真を撮ることは得意でも、撮られるのは苦手のようです。
カメラマンの僕も同じなので、お気持ちはよくわかります。

そんなこんなで撮影終了。
暗室でのプロセスを経て、定着作業に入ります。さっき撮ったばかりの像が、くっきりと浮かび上がるクライマックスのシーンです。
薬液の中で少しずつ浮かび上がる自分の姿を見たAさんからは感動のオーラが滲み出ていました。
ここで体験は一旦終了。
このあと、興奮冷めやらぬ雰囲気でAさんが口にした言葉に衝撃が走ります。

「撮ってもらった写真どこに飾ろうかなぁ。」
「・・・(しばらく考えて)」
「え、うそっ、わたし、自分の写真を部屋に飾ることを考えてる!

と、自分の口から出た言葉に驚かれたのです。

湿板写真の本質ここにあり。

そもそも撮られるのが苦手な人はなぜなのでしょうか?


僕が思うに、


誰しもの心の奥には「よく見られたい」という気持ちがあります。
可愛く、もしくは格好よく写るに越したことはありません。最近のテクを使えばメイクや格好、撮り方で「盛る」ことができます。逆手にとれば、「嘘」をつくことができるということです。この「嘘」が嫌な人や、見た目より中身を重んじる人は写真を撮られるのが苦手なのではないでしょうか。

湿板写真は「その人間」そのものが写ります。
もちろんメイクなどで見た目は変わるのですが、なぜかその人の印象までは変えることができません。
「写真機に魂を取られる」とはよく言ったもので、「見た目が素敵な自分」だけではなく「生きた証」がガラスに焼きつきます。
そこが写真を撮られるのが苦手な人にも、湿板写真が受け入れられるポイントの一つだと思っています。

長くなりましたが何が言いたかったかというと、

Aさんのような写真を撮られるのが苦手な人にこそ、湿板写真での撮影をオススメしたいのです。

「湿板なら撮りたい」という声が多いので、これは言っとかないと!
ということでこの記事を書いてみました。

撮られるのが苦手な人は、なかなか自分で「撮ろう!」と思わないと思うので、「湿板写真を撮る機会」を大切な人にプレゼントするのもいいのでは、と考えている今日この頃です。

2018年の撮影会から